「嘘も方便」はどこまで許される?仏教の「方便」から考える

仕事中に指を切ったという患者さんが受診されました。仕事中のけがとのことで労災保険として創を縫合しましたが、診療が終わる頃になって、「実は昼食を食べていたときのけがです」と説明が変わりました。

最初の話と違うため驚きましたが、なぜ受傷状況の説明が変わったのかは分かりません。このような場合、医療機関としては実際の受傷状況を確認する必要がありますが、この出来事をきっかけに、「嘘はどこまで許されるのだろう」と考えました。

日本語には「嘘も方便」という言葉があります。「方便」はもともと仏教に由来する言葉です。しかし、仏教が嘘を自由に認めているわけではありません。五戒には不妄語戒、すなわち虚偽を語らないという戒めがあります。

一方、大乗仏教には、人を救うために状況に応じた方法を用いる「方便」という考え方があります。『法華経』の「火宅の喩え」では、燃えている家から子供たちを救い出すため、父親が子供たちの欲しがる車が外にあると告げて家の外へ誘い出します。文字どおりの事実を伝えることよりも、人を救うことを優先した例です。

他の宗教や倫理思想でも、嘘を原則として否定しながら、生命を守る場合、迫害から身を守る場合、争いを避ける場合などには、真実をそのまま語らないことを認める議論があります。

つまり、「嘘をついてよいか、悪いか」という単純な問題ではなく、「何のために真実と異なることを語るのか」が重要なのでしょう。

自分の利益のために人をだます嘘と、人の生命を守るための言葉とを同じように扱うことはできません。だからこそ、「嘘も方便」という言葉も、本来は「都合が悪ければ嘘をついてよい」という意味ではないのでしょう。

診療では、患者さんから聞いた受傷状況や経過をもとに診断や保険の取扱いを判断することがあります。そのため、説明が途中で変われば、医療機関として確認しなければなりません。

何気ない診療中の出来事でしたが、「嘘」と「方便」の違いについて改めて考えるきっかけになりました。

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