私は水平線の彼方に沈み行く太陽を見ていた。
ギラギラと輝いていた太陽はやがて赤みを帯び、その色彩は次第に暗くなる。
大空も大海原も大地も夕焼けに染まり、水面に映った太陽は赤く揺れ、空に浮かぶ雲の色は変幻。
夕焼けの光景に見惚れて言葉では言い表せない深い感動の中で私は思った。
この美しさを人間以外の生き物が理解することは困難と。

何故人間に生まれたのか。
それは、私の創造と真実を識るためであることは確かなこと。

この地球も私なのである。私は美しい地球を創造した。
今、その美しさを見ている。

やがて、太陽は水平線の向こうに隠れた。

路傍の草

それは、アスファルトの割れた隙間から大空に向かって伸びていた。
降り注ぐ太陽光線は大地を熱くしていた。

私は、縁あってここに根を張った。
この割れ目から芽を出したが、真夏は灼熱の地獄だ。
4枚5枚と葉を出したが、暑さ厳しく、大地に含まれた水はもう枯渇しよう。
私は1年草。
この過酷な環境の中で、花を咲かせ、結実し、枯れゆくまで1年で結果を出さなくてはならない。
私は創造の時に自ら決めた通りに、どのような自然環境の中でもそこに根を張った以上、そこで私を発現させる。
私は路傍の草だが、私の創造の内に存る。
そして、私が存在するのは、自然の真善美のため。

時に降る雨を待つ身の思いは届く。

女郎蜘蛛

人は私を女郎蜘蛛と呼ぶ。
人は私の特異な姿を指差し「女郎蜘蛛だ。」と言う。
人は私の外形上の姿にそう名付けてそう呼ぶが、そのような姿形をして存在している私に実は名称は無い。

私は、私の棲家となる蜘蛛の巣を作るが、作り方は誰にも教えを受けたことはなく生まれながらに知っている。
私は、この身から出す粘り気のある糸で、剛性と柔軟性と弾力のある美しい形状のクモの巣を直感で作ることができる。

生きていくための術を私は知っているのだ。

私は巣の真ん中で、獲物が巣に掛かるのをじっと待つ。
風雨に、太陽光熱に、寒冷に耐え、昼も夜もひたすら待つ。
日がな一日中、そして何日も、飲まず食わずに時が過ぎることがある。
私は、そのような事が起きても動揺することは無い。
もし獲物にありつけなくて、命を落とすようなことになっても、私の生きる世界では普通のことなのだから。

私は、地球の美しい自然を作るために、この姿をもって現れている。
この姿は創造されたものだが、真の私の姿は、宇宙の意識なのだ。

全一性

その公園の遊歩道はいつもの朝の散歩コースになっている。
アスファルトの遊歩道は両サイドの地面から一段下がっていた。

雨上がりの初夏の朝の散歩の時であった。
路面が雨で濡れていたので、路面の状態を見ながら散歩していた。
歩道右前方の路面で、それは、クネクネと身をくねらせていた。
一匹のミミズだった。
多分、地面を移動中に歩道上に落ちたのだろう。

ミミズは数センチの高さを登る事ができず、難儀をしていた。
きっと長い時間そうしていたに違いない。
身をくねらせることしかできず、他になす術がない。
ミミズとは言え苦しんでいるのだ。

それまでもそのようなミミズはいたのだろうが、私に気づきがなかったのだ。

私は思った。
躊躇はなかった。
ミミズを摘み上げ、ミミズにとって安全な地面まで運び、放した。

地球の自然界にとって、ミミズは人間よりも必要な存在であるのだ。
人間は、この地上に多くの工作物を造り、今も造っている。

多くの生き物が地上に暮らしている。
多くの命があるのは、多くの命が必要だから。

人間にとって、最も必要なことは全一性の認識。

爾来、数えきれないほどのミミズをそうした。

神秘

私はタンポポ、春になると地面から葉を出し、茎を伸ばし、黄色の花を咲かせる。

花は、太陽の光を受け朝に開き、太陽が沈む夕に閉じる。
なぜこんなことが出きるのか。
そう決まっていることをそうしているだけなのだ。

開いた花は、多くの虫たちを待ち受粉する。
受粉が終わると花は萎む。
萎んでいる間に、種子ができ、それに綿毛を付けたら開くだけ。

私はいよいよ種子たちを風に任せて飛ばす準備ができた。
美しい球体にして。

綿毛をつけた種子たちは球体に開き、風が吹いてくるのを待つのだ。
右に左に吹く風に任せ、種子たちは綿毛の威力によって飛び立つ。
どこへともなく。

私は只のタンポポだが、このようなことが出来るのだ。

自然界を見渡せば、あらゆる所に神秘がある。
私もその一つなのだ。

(人はタンポポから沢山の恩恵を受けている。
食用に、薬用に、タンポポコーヒーまで。)

新世

知りてこそ
無分別智の
真実を

今ここに
真実がある
ここに今

求めるは
全一性の
原理のみ

この星の
新しき朝を
夢に見て

真実の私(私とは誰か?)