体験記あとがき

私は、1995年7月のグルプールニマで初めてバガヴァン シュリ サティア サイババのアシュラム、プラシャンティニラヤムを訪れたのち、2008年7月のグルプールニマまで、ホワイトフィールドのババのアシュラムを含めて14回にわたりババのアシュラムを訪れた。訪れるたびに日常では経験することのないような多くの不思議を経験させていただき、その幾つかを本ホームページに掲載させていただいておりますが、他にも二つほど紹介させていただき、後書きとします。

(1)1995年7月のグルプールニマの時のことである。
西洋キャンティーン(食堂)に入るには外側にある数段の階段を上りドアのある出入り口から入るのですが、食堂内から外を見るには出入り口まで出ないと見ることができない。
その時、私は一人で西洋キャンティーンに行き、階段下で履き物を脱ぎ階段を上がった。すると出入り口の所に初老の男性が立っていて、私についてくるようにと言って私の手を取るようにして並んでいる人達の右側を追い抜いてその人達の一番前まで連れて行ってくれたのです。彼は、ステンレス製の食事皿を持ち、私が選んだ食べ物を皿にのせてテーブルまで運んでくれた上、水の入ったコップまで運んで来てくれたのです。
私は彼が何故そのようなことをして下さるのかその時は分からず、なされるままにしていたのです。
私に同行がいる時は、彼が出入り口まで迎えに出てくるようなことはなかったのですが、同行がいない時は、その後何度もそのようなことが続いたのです。
彼は西洋キャンティーンの男性側の責任者であることが分かったのですが、何故そのようなことを私にして下さるのか、私が身体障害者だったからということは理解できますが、何故、彼は私が階段下まで行くと、食堂内から外が見えないのに迎えに出てくれたのか、それも一度や二度ではなく何度も。不思議なことと言うしかない。
その後にプラシャンティニラヤムを訪れた時も、私が一人で西洋キャンティーンに行った時、彼が責任者としている間は同様に迎えに出てくれたのです。

(2)それは朝のダルシャンの時だった。私はペイシェントベンチに座ってババがお出ましにはるのを待っていた。ババがお出ましになり、座っている帰依者の前を歩き始めて直ぐのことだった。肉体はペイシェントベンチに座ったままの状態で、私の意識だけが空中に舞い上がったのである。それは突然の出来事で、何が起こっているのか理解できなかったが、私は空中から下を見ていた。眼下には、ババの歩く姿と、座ってババのダルシャンを受ける大勢の帰依者の全体を真上から見下ろすことができたのである。その時私の心の中に聞こえてきたのが「これがわたしだ」だった。短い時間であったが、私の意識はババの意識の中にいたと思われるのである。

私は、「私は誰か。」「私はどのような存在か。」それを知るためにババのアシュラムに行った。アシュラムにいる時、私は自己を見つめ続け、すべての存在はアートマンであるとの教えから、常にアートマンのことを考えていた。私は探求することが目的でアシュラムに行ったのであるが、掲載したような不思議を何回も経験したことは、ありがたい後押しになったのである。

私たちは、本当の私とは誰かを知らないまま生きて死んで行きます。人間は、生まれては死に、生まれては死にを繰り返して現在があり、過去生の無い人間は一人もいないと言われております。しかし、それは問題ではありません。いま、「私は誰か」と探求を始めること、それこそが一大事なのです。私たちが、そのことを知るならば、一切衆生のその根元について知る事が可能なのです。
何故に人間にまで進化したのでしょうか。人間には、識別、分析、判断などの思考する力があり、また、思考を超えた領域を認識する力があります。

花

ページトップへ