ウパニシャッド ヴァヒニ  
第10章 アイタレーヤ ウパニシャッド(石井 真 訳)

迷いからの解放はアートマのビジョンをもたらす
「アイタレーヤ ウパニシャッド」は、リグ-ヴェーダに含まれており、絶対的なアートマ原理を記述した 6 つの章によって、珠玉の輝きを放っています。それゆえ、これは「Atmic Six:アトミック シックス(Atma-Shatka:アートマ-シャトカ)」としても有名です。それは、霊性の志願者に、妄想と無知の破壊によってもたらされるアートマのビジョンを得ることを可能にします。ここで「アートマ 」は 2 つの意味で使われてい ます。すなわち、「世俗の活動」と「至高の存在」です。世俗的活動の意味で使われるアートマは、個人(jivi:ジヴィ)を示しています。全ての個人において、アートマはその感覚器官(jnanen-driyas:ニャーネン-ドリア)を通して外側の世界へと自らを現しています。 「アートマ」という語は、他の物事の中における「拡大、消費、動き」などを示す語根アタ(ath)に由来しています。つまり、アートマという言葉は、普遍的な内在、普遍的な同化、そして永久的な動きを表します。それはアートマはブラフマンそのものであるということです。目が覚めている段階では、アートマは、世俗的な活動をしている個人(jivi:ジヴィ)の意味ですべての経験を楽しんでいます。夢の段階では、知覚と行動のすべての感覚はその活動を控えていますが、アートマは外側の世界から収集した経験や印象に基づいて、独自の形と名を創造します。深い睡眠の段階では、アートマはあらゆる場所に内在し、外側や内側といった区別すら無く、純粋な至福という根本的な役割を担います。
世界の意味は、これら 3 つの段階の経験と同調しています。時間、空間、状況には明らかに制限があるため に、アートマも条件付きで制限されていると見なされがちですが、それはアートマの本当の姿ではありませ ん。アートマには、始めも終わりもなく、それは不変で、無限なるものです。アートマはすべてを知っており、いかなるものをも達成することができます。アートマには何の属性もなく、それは永遠で、穢れがなく、意識であり、自由そのものです。アートマは唯一なるものであり、分割されず全体であり、ユニークです。

アートマは宇宙創造の前から存在していた
外界は直接知覚などを通じて認知されます。したがって、あれやこれやとして指し示されるもの、あるいは 名前や形によって描写されるものの全ては、「創造(srishti:スリシティ)」という観念に包含されます。創造とは、行為、結果を意味します。では、その行為の前には何があったのでしょうか? その前には、 Idam agre, Atma eva aaseeth.(イダム アグレー、アートマ エーヴァ アーセート)それより以前、アートマだけが存在していました。世界は潜在的な産物でしたが、後にそれは顕在化します。潜在的な段階では、それはアートマに潜んでいました。顕現したいという衝動により、名前の多様性が花開き、このすべての多様性が目に映るようになりました。感覚によって知覚可能であること、これが顕現の要件です。 名前は基本的に音であり、言葉として現れます。「こちらはランガさんです」と言うとき、ランガという音が発っせされ、聞き手は示された人物に目を向け、彼をランガと認識します。言葉とその意味は切り離すことができません。この二つは、創造以前には共に存在しないものでした。それゆえ、アートマと顕在化していない創造物(jagath:ジャガット)は、知性と知性が作り上げる世界には到達できないもので した。天地創造の後、名前と形がすべての本質となり、すべては言葉とその意味によって把握できるようになりました。過去にも、現在にもそして未来にも存在する非二元なる存在がアートマです。 創造とは、名前と形で増殖する多様で多層な顕現です。しかし、基本的には、ただひとつのユニークな物質 (vasthu:ヴァストゥ)があるだけです。

感覚を超越した存在アートマにはいかなる区別もない
一なる大海が水泡、泡沫、波、波紋として見えるように、全宇宙の創造においてもまた、不変なる唯一なる実在から、見かけの多様なる様相を現すのです。みかけの多様性を実在と見做すことは近視眼的視点あるいは無知によるものです。アートマ以外の実在を想定する必要はありません。無知や近視眼的視点や幻影(マ ーヤ)は、アートマの意志の産物にすぎません。それはアートマと離れて存在することはありません。それは、「強さ」と「強い人」を別々には認識できないのと同じことです。 アートマは、ただ唯一なる実在であると絶対的に宣言されているがために、同類、異種、自らの特性などの比較や区別をすることができないのです。 しかし、すべてものが一つであることは、そうすぐには認識されません。それは、ちょうど蛇のように見える縄、 あるいは幻影なる蜃気楼のようなものです。 アートマはまた、創造(jagath:ジャガット)があたかも実在しているかのように私たちを惑わせます。それはすべて、手品師のトリックのように絶対者の意思によって操作されるています。縄は第一の原因として、その上に蛇という幻影を映し出します。アートマには手足も身体もなく、それは五感を超越しています。すべては非現実的な幻影であるという説明だけが、純粋な意識であるアートマからどうして創造が生じるのか、という疑問を持つ批評家を満足させることができます。 すべてはアートマであり、さまざまなものとして現れては惑わす幻想(maya:マーヤ)ですらもそうです。その迷妄の力は極めて強力であるがために、それはあたかも、感覚器官などの道具を通してなされる行為として、 人はそれを自らの意志と力で行ったと宣言します。しかし、実際には、その幻影はアートマによって創り出され、アートマによって行為されているのです。

アートマは感覚を司る「神々」を支配する
このようにして創造された世界には意識が備わっていません。ですからそれは、機械(yantra:ヤントラ)に対して行われるように整備されなければなりません。機械が製造され設置された後、メカニックや整備士がいなければ、どうやってその機械が作動することができるでしょうか ? 唯一者であるブラフマンは、五大元素からなる最初の化身(Viraat-Purusha:ヴィラート-プルシャ)を創りました。至高神はまた、この最初の化身に頭と手足を与えました。それは、あたかも陶芸家が地中から掘り起こした土くれから粘土の人形を作ったように、最初の化身を元素から創造したのです。 その完全なる人の姿を纏った存在の手足から、世界を支配する者たち(loka-palakas:ローカ-パラカス )が生み出されました。そして、それぞれの感覚が分離され、顔の正面に、口、鼻、そして目があり、言葉を司るアグニ神(口の働き)など、それぞれの感覚を司る適切な神々が創り出され割り当てられました。これらの神々は五感を祝福し、五感が正しく機能するように見守っています。眼、鼻、耳の外見が正常であるとしても、それぞれの感覚器官を司る神々の助けがなければ、それらは全く機能しないのです。 水の元素から牛と馬が作られ、神々に捧げられましたが、神々はそれで満足することはありませんでした。 その祈りに応えて、ブラフマンの最初の化身(Viraat-Purusha:ヴィラート-プルーシャ)に似せられた人間が創られたのです。
人間には識別(viveka:ヴィヴェーカ)が備わっており、そのことに神々は歓びました。 人間以外のあらゆる生物は、行為の成果を享受するための道具に過ぎませんが、人間だけが、解脱を達成する唯一の道具なのです。


至高の神は生きとし生けるものを通して全てを照らす
至高の神は肉体に入った後、感覚及びマインドを外的事物の世界へと結び付け、統率します。
至高の神は、あたかも俳優のように外部世界と接触し、過去世の教訓をすべて経験します。
至高の神の前では、バレエダンサーである知性(buddhi:ブッディ)は、感覚のタイミングに合わせて次から次へと舞台を変えながら、自らのステップで踊るのです。
このように、至高の神は個々の生きとし生けるもの(jivi:ジヴィ)の姿を通して、すべてを照らします。ジーヴァ-アートマ(jiva-atma:個々の魂)として限定されるパラマートマ(Paramatma:至高のアートマ)は、3つのレクリエーション領域を持っています。眼球、喉、そしてハートです。
ブラフマンの認識が達成されたとき、あるいは認識しようと試みられたときに、目は特別な輝きを放つのです。
このことは明白な事実であって、個人が自らの本来の姿について認識を得たとき、アートマ以外には全ては存在しないことを説明することができないかもしれません。しかし、ブラフマンそのものが世界の全てとして顕現しているという知識を獲得するでしょう。個人とブラフマンの一体性を深く掘り下げる人は、確実に人生の目的を発見したといえます。そのことに疑いはありません。
覚醒、夢見、熟睡の3つの段階は、アートマとは関係を持ちません。それらはただ 物理的感覚的原因結果に関連しています。

人間の三つの誕生の形
人間には、自分の身体と子孫の身体の2つがあります。学問、教育、名前の繰り返し、これらの与えられた仕事は、親から子へ、死の間際に引き継がれ、子供が親の代理として引き継ぐのです。親は肉体を離れ、別の肉体を持ちます。それは、生きていた時に培われ確立された行動と傾向に合致した肉体です。それが親の三度目の誕生です。最初の3つのマントラのうち2つは、身体的な誕生と霊的な誕生という2つの誕生について述べています。そして、3つ目として、子供による継承が加わります。
ヴァマデーヴァ聖人は、このような形でアートマの本質を理解し、すべての物質世界の絶え間ない流転から解放されました。

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