体験記(その2)

2000年7月、プッタパルティのババのアシュラム「プラシャンティニラヤム」を訪れた時のことです。

私は、私が作成しているホームページに、プラシャンティニラヤムに行った時のことを旅行記にして載せようと思い、そのホームページに掲載しようとアシュラムの建物や草木の写真をデジタルカメラで撮ることにしたのです。

その日、私がアシュラム内の花の写真を撮っていますと、自転車に乗ったセバダルがやって来まして、私に、アシュラム内の撮影はできないから写真を撮るのは止めるようにと言ってきたのです。私は、花の写真だけだからと言ったのですが、花もだめと言われ、その時は、写真を撮るのを止めることにしたのです。その後私は、花の写真や建物の写真を何枚か撮ったのですが、その時にはセバダルに見つかることはありませんでした。

ある日の夕方、売店に行く途中の道路際の黒板にその日のババの御言葉が英語で書かれてありました。その前で立ち止まっていますと、日本人の青年が来まして黒板に書いてあるババの御言葉を翻訳して内容を私に教えてくれたのです。彼は鈴木君といい、横浜市に実家があり、今はアメリカの大学院に留学していて夏休みでここに来たと言っていました。

鈴木君にはその後も何度となく出会い、ダルシャンが終わった後私の宿泊棟まで送っていただいたり、食堂で食膳を運んでいただいたり、売店で買い物の手助けをしていただいたりと、いろいろと助けていただきました。

帰国前日の朝のことでした。ダルシャンが終わり宿泊棟に戻るため歩いておりますと、鈴木君が私に追いついてきて、私が持っていた座布団を持ってくれた上、宿泊棟まで送ってくれると言いますので、私は彼の言葉に従うことにしたのです。

鈴木君と話をしながら宿泊棟への道を歩いていますと、突然、中年のインド人の男性が私の行く手を遮って、あげますということを言って、私にババの写っている写真を差し出したのです。突然のことでしたので、私はその写真を貰っていいかどうか判断する事もなく、手を出してその写真を受け取ってしまったのです。その男性からその写真を受け取った時、写真の下のほうに英文で何か書かれてあるのをチラッと見たのですが、私はそのまま写真を胸のポケットにしまいこんだのです。

そのインド人は鈴木君にも同じ写真を渡してくれたのです。鈴木君は、写真を受け取りますと、写真に印刷してある英文を日本語に訳して読み出したのです。鈴木君が、「神はカメラマンのようです。」という言葉で始まる英文を読み出した時、私は「あっ」と思ったのです。

私が「あっ」と思ったのは(それは直感的な思いだったのですが)、「私がデジタルカメラでアシュラム内の写真を撮っていたことは知っていた。」という私へのメッセージに他ならないと思ったからです。

メッセージが届いた時、私は鈴木君と一緒でした。それは、私にメッセージが届くには、メッセージを翻訳する誰かが必要だったからです。もし、鈴木君と一緒でなかったならば、私はその写真に書かれていた英文を読む事もなく、私に届いたのは写真だけであったかも知れないのです。

鈴木君と筆者

鈴木君と筆者

GOD IS LIKE A CAMERA MAN, HE WILL CLICK ANY TIME.
YOU HAVE TO BE READY FOR THE PICTURE MUST COME OUT GOOD.
(神はカメラマンのようなもので、いつでもシャッターを押します。あなたは良い写真が撮れるように常に準備ができていなければなりません。)

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