実感認識

実感認識とは、自己を見つめ続け探求してきた事が、実感として、直感的に理解することができた確信の伴った認識のことであり、それは脳による認識ではなく、ハートによってなされる認識である。
実感認識は、直接の体験であり、脳に強く深い印象をもたらす。実感認識したことは忘れることはない。

アートマンという言葉は、真我をアートマンと名称したものであるが、その御姿をどのように表現しようとしても、姿型のない存在であり、至福に包まれた純粋な意識であるとしか表現できない。

至福に包まれた純粋意識としてのアートマンをどのようにすれば知ることができるのか。
アートマンの分析的探求をして、そのことに集中していて、それ以外に対する思いがなく、こころが静寂を保ち囚われのない状態にあるとき、至福が出現する。
至福とは、ハートの奥底から湧き上がる歓喜のことで、波の打ち寄せるごとく次から次へと歓喜が絶え間なく続く心的状態である。
至福が出現するための外的要因は必要ない。
では、何故至福がこの身体の中から湧出するのであろうか。歓喜を生じさせる何らかの存在がなければ、歓喜が生じることはないのであるから。
外的要因を感覚器官が感受したことによって生じる感動、歓喜、至福とは異なり、ハートから湧出する歓喜は、ハート内部から湧き上がるものであり、ハートに存在する純粋な意識によってもたらされたと、推測するしかない。
至福の出現は、真我を実感認識する前の段階にある。
ついには、「私は、それ。」であるとの実感認識に至るのである。

『参考までに 自己を見つめる』
【1】(1996年7月のグルプールニマ祭プラシャンティニラヤムでの出来事)
帰国前日の朝、ババがダルシャンをして下さることになり、日本人グループはホールに残り、整列してババのダルシャンを待つことになったのです。
私は、ババのダルシャンを待つため、椅子に座ってすぐのことでした。
ババは、左側に座る人たちの肩などをポンポンと手で触れるなどして歩いて来られたのですが、ババは私の前を通り過ぎ、私の右側に座る人の方に行ってしまわれたのです。
私は椅子に座る時に、昨年(1995年7月のグルプールニマ祭)ババからビブーティをいただいた時のことを頭の中で思っていたのです。
私は、ババが私の前を通り過ぎた時、あっと思ったのですが、ババが何故通り過ぎて行ったのか分かったのです。
私は、プラシャンティニラヤムには、欲望などの思いを持ち込まないとの気持ちで行っていたのですが、この時、昨年ババからビブーティをいただいたことを頭で思っていたのです。それには期待のない欲望が微かにあったのです。
ババは、私がそのことを思っていたことを知り、通り過ぎたのです。
ババは、私にプラシャンテであるよう態度で示したのです。このことは、私にとって最高のダルシャンになったのです。
私は、自分自身を見つめることを、常に私自身が行っていましたので、自分の思いに気付くことができたのです。
この経験は、私の探求をさらに前進させてくれたのです。

【2】(1995年7月グルプールニマ祭でババからビブーティをいただいた時の状況)
空間の一点に光が出現し、その光の中からビブーティが出現し、逆V字形に私の両手の平の真ん中に降ってきたのです。
左と右の手の間隔は20センチメートル位離れており、ビブーティの出現した空間から手の平までの高さは30センチメートル位ありましたので、法則に照らせば逆V字形に降り注ぐことはあり得ないことなのですが。

【3】(1997年5月のブッダプールニマ祭ホワイトフィールドでの出来事)
帰国前日、日本人とスリランカ人のグループが、ババのダルシャンを受けることになり、物置となっていた体育館様の建物に入ってババのお出ましを待っていた。
日本人は約100名、スリランカ人約900名が入った建物内は混雑していて、人と人の列の間をババが歩くのはとても大変な状況にあった。
ババは、スリランカ人からダルシャンを始め、一人ひとりの肩や頭を軽く触れながら狭い人と人の列の間を歩いて、次に日本人のダルシャンが始まった。
私は、ババのダルシャンを待つ間、呼吸に意識を向けこころには思いを持つことなく静寂を保っていた。
私はその時、何の期待をも持っていない状態にあった。
ババは前方から歩いて来て、私の左肩をポンと叩いて過ぎて行った。
私はその時、静寂の中で、何の思いも持たないババの意識と出会っていた。
私は更なる真我実感認識への階段を上ったことを確信したのである。

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