私の前世

「私の前世」を本ホームページ「真実の私」に掲載することにしたのは、私は誰かを知らないとの思いを持ち、真我を実感認識するとの強い思いを持った原因が前世にあったとの認識をしたことから、本ホームページ「真実の私」作成の原点でもあると思料し、掲載することとしたものである。

私の前世は、カラムチャンド・モハンダス・ガンジー
妻尚子の前世は、その妻カストゥールバイ・ガンジー
多分だが、ほぼ間違いない。
ただし、妻は、前世があることについては信じていない。

現在の二人が出会った頃は、自分に前世があるなどということは知らなかったし、前世について考えたことすらなかった。
出会った時、心の奥深くでそれまでにない何かを感じたのである。
昔共にあった魂と魂の出会いは、清冽な感情を私にもたらしたのであるが、その時はそのような魂と魂の出会いであることは、知るよしもなかった。

ガンジーは私の前世であったとの証明は出来ない。また妻の前世がカストゥールバイであるとの証明も不可能である。また、カストゥールバイであった魂と、ガンジーであった魂が出会ったとの証明も出来ない。

ガンジーが前世であったということと、妻尚子の前世は、ガンジーの妻カストゥールバイであったということについて。

転生については、様々な文献が支持しており、前世があるということは、これも様々な証明がなされている。
前世のない人はいないのであるが、自分の前世がどのようであったかは、肉体は前世とは全く別の存在であり、前世での記憶は消失しており、それを識ることが困難である。
前世がどのような性格であったか、前世の性格が現世の性格に引き継がれていることを立証することができれば、前世は存在する。ただ、肉体が全く別の存在であり、証明は困難。
一般的には、前世での最後の思いは次世に引き継がれると言われている。

カストゥールバイは、調べると1944年2月22日に逝去している。
ガンジーは、1948年1月30日に凶弾に倒れている。
私の誕生日1948年12月12日、
尚子誕生日1945年7月6日
私と妻の誕生日には約3年5か月の差がある。

では何故私の前世がガンジーであると思ったのか。

1989年8月12日事故で頸髄損傷の怪我をしたことが全ての始まりであった。

頸髄損傷をした時に、自分が誰かわからかなかったという気付きがあったが、何故そのようなことに気付いたのか。
ガンジーは、死に際して、アートマンの知識はあったが、自らがアートマンであるとの実感認識がないことに気付き、そのことを後悔したと思われ、その時の強い思いが、霊的意識の中に記憶されて今生に持ち越され、頸髄損傷した時、全身麻痺、首から下の感覚ゼロ、呼吸の異常という異常事態の中、自分は死ぬのではないかという強い思いを持った時に、今生に持ち越された意識にあった前世での最後の強い思いが現在の意識に出現し、現在の自分では知らなかった前世での最後の思いが表れ出たと考えられる。
肉体が死ぬ時、その肉体が記憶したあらゆる記憶は死とともに消滅する。
しかし、次世に持ち越される記憶があると思われる。それは、死の直前に持った最後の思い、その時の思いが引き継がれる。しかし通常の意識下ではそのことを識ることはできない。
杏林大学医学部附属病院ICUに1週間、その後一般病室に移ったが、その直後から、胸の中に何かがある。それが何かは分からなかったが、出て行って欲しいと思ってもそれは居続け、翌日もその翌日も。得体の知れない何かが胸の中にあるという状況は、不安とストレスであった。
調布市の深大寺で祈祷してもらった後、その何かを感じることが少なくなり、遂には消滅した。その時の深大寺のお札は今も保存してある。
その何かが判明したのは、その後である。
ガンジーは、死が目前に迫っている中、この胸の中にある物を誰か出して欲しいと声には出せない叫びの中で肉体は死んだのである。
私の胸にある大きなホクロは、胸の中に何かがあるとの思いがあった後に出来た物で、ガンジーの胸に凶弾が撃ち込まれた痕が、頸髄損傷後の異常な意識の中にあったことから、ホクロという形で出現したのではないかとの思いに至ったのである。

私は誰か、私はどのような存在か。そのようなことを考えたことのなかった私は、その後その解明に邁進したのである。
そして、遂に私は、私の実在について実感認識を得ることになったのである。

今生では多くの不思議を体験してきた。
小学3年生の時にUFOに遭遇したこと。
自宅の庭にいた時であった。頭上に何かを感じてふと空を見上げると、真上にそれは浮かんでいたのである。それは真下を向けて私を見ていたのである。
それは円盤で、丸い曇りガラス色をした突起物が3個ついていた。
私はその円盤を見た時、その円盤に見られているという感覚を持った。
時間で言えば数秒間。見上げながら瞬きをした瞬間にそれは消えた。
後で考えたことは、それが現れたのは偶然であったのだろうか。何故私の真上上空に停止したのか、それは分からないことである。

その後で2回不思議を経験した。
一人で小学校からの帰り道、それは起こった。上空からヒラヒラと舞い落ちてきたのである。燻(いぶ)し銀色で長さ2~3センチ、幅5ミリくらいの非常に薄い物質で、身体に当たるとスッと消えた。地面にも落ちたが落ちると同時にスッと消えた。
その後、もう一度同じ体験をした。
自宅の庭に一人でいた時、全く同じことが起きたのである。

UFOについては、少年雑誌などに記事が掲載されていたことがあり、そのような物が存在することは知っており興味はあったが、まさか自分が遭遇することになろうとは、思ってもいなかったのである。
ただ、その頃はUFOについて、どうしても知りたいという欲望がなく、UFOについて調べ始めたのは1989年8月頸髄損傷の怪我をした後で、彼らの科学技術があれば、頸髄損傷を治せるかも知れないという思いつきからであった。
空から舞い落ちてきた物質については、そのような物質や体験についての文献がなく、分からなかった。

私は誰かという難題を探求していた時に、インドの宗教についても勉強しており、ウパニシャッドの思想に出会った。その深遠なる思想は真の実在について識るための羅針盤になった。

ウパニシャッドの勉強をしている時に、バガヴァン・シュリ・サティア・サイババを知ることになる。

1995年7月インドのプッタパルティ村にあるバガヴァン・シュリ・サティア・サイババのアシュラム「プラシャンテニラヤム」を訪れることになる。
この時の様子は、本ホームページ「真実の私」に掲載してある。

インドについて学ぶことになり、ガンジーについてマハトマ・ガンジーと呼ばれるに至った経緯やその生涯を知ることになる。
ガンジーは、拳銃による射撃を受けて最後を迎えたが、最後の時にガンジーは何を思いながら逝ったのであろうか。
実際はパニック状態であったろうと思うのである。突然の出来事にガンジーは混乱していた。
初め何が起きたのか理解することが出来なかった。
この胸の中に入っている物を誰か出してくれと思ったが、声にはならなかった。
意識はあり、混乱した思いの中ではあったが冷静な自己があり、拳銃で撃たれたことを知り、この命は助からないだろうと自らの死を認識したのである。
そしてラーマとアートマンのことを思った。その時、私の実在はアートマンであるとの認識がないことに気付いたのである。
死を目前にした状況にあって、ギーターを諳(そら)んじるほどであったのに実在であるアートマンを実感として認識してなかったことに気付いたことは余りに遅かったと後悔し、次に生まれた時には、必ず実在であるアートマンであることを識ると、強い思いを持ちながら逝ったのである。
これがガンジーの最後の思いであった。

頸髄損傷の怪我をした際に表出した思いは、現世の経験にはないもので、何故そのような思いが生じたのか、それは前世で経験したことではないかとの考えに至ったのである。

本ホームページ「真実の私」に、ババのアシュラムであるプラシャンテニラヤムでの私の体験を体験記にして掲載しているが、何故掲載したような不思議が私に起こったのであろうか。

ガンジーは、ババとの面識を得ないまま逝ったのである。

ババの能力とお力を理解出来る人間は、誰ひとりいないであろうと思うのである。
体験記に記載したように、ババは何故私にビブーティを出すところを見せてくれたのであろうか。
ババの御業は、数え切れないほどある中で、ビブーティ出現の瞬間を見た者はいないと思われる。
物が落ちる時は、引力で下に落ちる。
ビブーティは、光が出現しその光の中の一点から逆V字形に私の両方の手の平に引力に逆らって落ちてきたのである。ビブーティは光の中で生み出されたのである。

その他にも様々な不思議を体験していることは、ホームページに掲載したとおりである。
体験記には掲載していないが、プラシャンテニラヤムを訪れた時、いつもその門をくぐると私の心に「よく来た。よく来た。」とババの声が響いたのである。
また、ババのアシュラムプラシャンテニラヤムを訪れた時、同室者の二人と前世についての話しをしていた時に、私の前世について二人が同時に言った言葉は全く同じ言葉であった。その言葉は、私の前世が死んだ時の死の原因のことであった。
彼らは、私の前世について知るはずはないのである。それに二人は、同時に同じ言葉で言っているのである。
私はその時、彼ら二人の口を通じてババが私に伝えたのではないかと思ったのである。

私は、ガンジーについて調べている時に、もしかすると私の前世はガンジーではないかと思ったのであるが、それは彼の死が記載された状況に直面した時に、私の内心が「これは私だ。」と思ったことにある。

現在の私の前世がガンジーであるとの証明をすることは出来ないが、私が頸髄損傷の怪我のすぐ後で経験した一連の出来事は、今生での私の経験や記憶にはなく、今生の私は知らないことであるのである。
その一連の経験の時は、それらの事は錯覚ではなく、今現実に起きているとの感覚にあったのである。

その他にも、朝日新聞の一面の広告記事にガンジーについての掲載があり、ガンジーは死に際して、自分を撃った相手を許す、と言ったとの記載があったが、私はそんな事を言った事はないと直感的に思ったことがあったのである。

さて、「真実の私」は誰か。私は、実感認識によりその事を今生で知り得た。

私は、ババが何故私に数々の不思議を体験させて下さったのか、それは現世の私に対してではなく、前世のガンジーに対してなされたのではないかと内心思っているのである。

現世の私は、私は誰かという問いに対して、真我である「真実の私」を実感として認識するに至り、今生での私の人間としての真の目的に到達することが出来たのであるが、このことは、前世のガンジーが次世でアートマンを必ず実感認識するとの強い思いが達成されたことに繋がるのである。

これらのことが、私の前世はガンジーであるとの結論に至った理由である。

ババから頂いたビブーティは、ババが私の両手をババの両手で何度も撫でさすってくれた時に両手全体と首に白く付着したり、衣服に付着したが、マンデイール(寺院)を出るころには殆ど消えてなくなっていた。
私は、ビブーティが消えてなくなった様を見て、私が小学校3年生の時にUFOに遭遇した後に体験した、空から舞い落ちてきて体や衣服などに付着するとスッと消えた燻し銀色をした非常に薄く細長い物質を思い出した。この物質とビブーティの共通点は、いずれも消えてなくなったということである。
それぞれは偶然の体験ではないのではないか。
時を経ての体験だが、私にはつながりがあるとの思いがある。

私が小学校3年生の時にUFOに遭遇した後に体験した、空から舞い落ちてきて体や衣服などに付着するとスッと消えた燻し銀色をした非常に薄く細長い物質を浴びた後、それまでは体が弱く年間数十日間学校を欠席していたのが、3年生からは欠席することが少なくなったのである。空から降ってきた物質を浴びたことが、体が強くなった原因の一つではないかと考えている。
もしUFOに関係する彼らが物質を降らせたとするのであれば、私の体が弱いことを知って行ったことは明らかであり、では何故私に対してそのような物質を浴びせる行為をしたのか疑問が生じるのであるが、現在その答えはない。

私がババからビブーティを頂いた時は、私は、私は誰かということを探求している時で、ババはそのことをご存知であって、私が真我実感認識に至ることができるよう授けて下さったものと私は考えているのである。

燻し銀色をした物質もビブーティも身体内に取りこまれた感覚はなかったが、状況から身体内に吸収されたことは確かなことと考える。
二つの物質は私の身体内部で、それぞれが持つ波動を発し続けていたと考えられる。

以上が燻し銀色の物質とビブーティについての、私の憶測である。

私のこの身にこれまでに起こった様々な不思議は、何故に起きたのか。私にも理解することは出来ないのである。

私は私が誰かを知らない。私の前世はガンジーである、との思いは、今生平凡な人生を生きてきた私とすれば、頸髄損傷の怪我をしなければ、そのような思いを持つことはあり得ないことだったのである。
頸髄損傷という怪我をしたことにより、私は今生で二度の人生を送ることになったといっても過言ではない。二度目の人生は、深淵な真実の世界を知るための時間となったのである。

私の前世についてなどの所感を述べてきたが、ここに述べたことは私個人の見解である。
前世や輪廻転生があるということは、現代の地球人類の文明科学では立証されていない。
目に見えない物事は存在しないと見るべきではない。
以前には目に見えなかったウイルスが、科学の発達により存在することが分かったように、意識という目に見えない世界があるということが判明する時が到来することを期待している。

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