最後のプラシャンティニラヤム行

2008年7月13日から20日までの日程で、パラダイスツアーズが企画するプラシャンティニラヤムで行われるグルプールニマ祭に参加申し込みをしましたが、私は1989年8月に頸髄損傷の怪我をして以来、運動機能障害などにより、数え切れない程の転倒を繰り返していて、転倒する度に頸髄損傷箇所がダメージを受け、運動機能や筋力の低下などが進み、身体全体の動きが悪くなり、歩行速度が落ちるなどの支障が出たこと、痺れ痛みが増悪している身体で飛行機や車に長時間座っていることが厳しい状況になったことなどから、今回のプラシャンティニラヤム行きを最後にしようと決めたのです。

私がその事を、1995年7月のグルプールニマで知り合いとなり、その後ずっとお付合いをさせて頂いている、青森県八戸市で内科医院を開業している大城陽一先生にお話ししたところ、「それでは、私が一緒に行きましょう。」ということになったのです。旅行期間中の患者さんはどうされるのか私はその事を心配したのですが、先生は「大丈夫です。」ということになり、一緒に行くことになったのです。

成田空港の出発ロビーで、先生と二人でパラダイスツアーズの方や他の参加者の方が来るのを待っていたのですが、誰も来る様子がなかったのでインド航空の係りの方に聞いたところ、参加者は先生と私の二人だけであることが分かったのです。グルプールニマに参加する方は、これまで私が参加した時は少なくても20~30人はいらっしゃったのですが、今回は、成田空港から出発するのは、先生と私の二人だけだったのです。

航空機やプラシャンティニラヤムまでの車はパラダイスツアーズで手配してあり、大城先生が全部手続きなどをして下さいましたので、トラブルもなくスムーズにプラシャンティニラヤムに入ることができました。
ただ、車や飛行機での移動中の私の身体は、痺れ痛み痙攣などがほぼ間断なく続くような状況で、それに堪える厳しさはありました。

滞在のための手続きが済んで、プラシャンティニラヤムでの私の最後の滞在が始まったのです。
何度か訪れたこれまでと同じように、1日2度のダルシャンに出るだけ。あとは心静かにして過ごすだけの日々。日常から離れて自己を見つめるには、最高の場所プラシャンティニラヤム。今回が最後ということでアシュラムの様子も見納めになるのですが、こころは執着なく平安であったのです。

大城先生は13年ぶりということで、シェッドと呼ばれる平屋建ての宿泊棟があった場所に4階建ての宿泊棟が何棟も建築されていたり、アシュラムが発展しつつある光景に目を奪われていたご様子でした。先生も非日常の生活の中、滞在中は時間の経過を愉しみながら日々を送っておられる印象でした。

最後のプラシャンティニラヤムは、グループでの参加でなかったため、皆で集まってする行事もなく、プラシャンティニラヤムという聖地での全時間を自らのために過ごすことができたとても充実した滞在になったのです。

滞在期間が終わり、帰国の途についたのですが、二人だけの帰国の旅もトラブルなく成田空港に到着したのです。
大城先生には、出発から滞在中帰国するまで、本当にお世話になりました。
私が1995年7月に初めてプラシャンティニラヤムを訪れた時は、ジャンボジェット機1機をチャーターして行くほどの大人数だったのですが、今回最後となったプラシャンティニラヤム行は、大城先生と私の二人だけという実に明快な旅になったのです。
私は、今回のグルプールニマ祭に参加することを決めた時、ババに「今回が最後になります。」と申し上げていたのです。

写真 休息中の大城先生

ページトップへ