体験記(その1)

1 9 9 7年5月、ブッダプールニマ祭でホワイトフィールドにあるババのアシュラムを訪れた時のことです。

その日の朝のダルシャンの時、比良竜虎さんが私をダルシャン会場にあるペイシェントベンチまで案内してくれたのです。私がベンチに座わりますと、会場の責任者と思われる男性が現れ、この場所には座ることができないので別の場所に座るようにと言うのです。比良さんが、私が座れるように掛け合って下さったのですが、結局、そのベンチから離れた別のペイシェントベンチに移って座ることになったのです。比良さんが案内してくれたペイシェントベンチは、特別な人が座る席であるらしかったのです。

このことは、それで忘れていたのです。

その日から2日後の午後、私はダルシャン会場が開くのを待つため、会場下の石の階段に腰を掛けていた時のことでです。座って2、3分経ったころ、3歳くらいの小さな女の子が私のところに来て、「薄汚れて所々破れている座布団」を私に差し出すのです。私に使えということなのかと内心思いながら、何気なくその子の後ろの方を見ると、父親と思われる男性が少し離れたところにいて、彼は私に、下は熱いから座布団を使えというようなことを手振りで示しているのです。

私は頸髄を損傷していて、温感が低下していたため、石段が日照によって焼けて熱くなっていることも知らず,薄いズボンのままその焼けた階段に座っていたのです。私は、そうかこの石段は太陽熱で熱くなっているのだと思い、折角のご好意でしたのでその座布団を使わせていただくことにしたのです。そのまま座っていれば、お尻を火傷していたかも知れなかったのですが、「薄汚れて所々破れている座布団」を使わせていただいたことで、お尻を火傷することなくダルシャン会場が開くのを待つことができたのです。

ダルシャン会場に入ることとなり、その座布団を女の子の父親に返そうとしたのですが、彼は自分のではないと言って受け取ろうとしなかったのですが、それを彼に押し付けるようにして返したのです。

このことは、それで忘れていたのです。

これらの一つ一つの出来事が、単一の出来事として終わっていたのであれば、恐らく過ぎ去りし事として忘れ去ってしまったことでしょう。

帰国前日の午後のダルシャン会場での出来事でした。私はダルシャン会場の後方に位置したペイシェントベンチに、二人の日本人男性と一緒に私が真ん中で3人並んで座っていた時のことです。座って少し経ったころ、インド人の初老の男性が私の前に来て「あなたに席があるから来なさい。」と私に言ってきたのです。

私は彼が誰かも知らず、彼からそのような事を言われる覚えがなかったのでその席に行くことを断ったのですが、それでも彼は、私に席が用意してあるから来て欲しいと言うのです。私は、彼の申し出を無にしないようにと思い、私の両隣に座っている日本人にその席を譲ろうとしたのですが、彼は私でなければだめだと言うのです。彼が余りにも熱心に言ってくるものですから、私に席が用意してあるとはどういうことであろうと訝しげに思いながら、私は彼の言うその席に行くことにしたのです。

彼が案内してくれた、私に用意してあるというペイシェントベンチの席には座布団が置いてあったのです。その座布団を見た瞬間、私は、数日前に私のお尻を火傷から守ってくれた座布団のことを思い出したのです。目の前にあるその座布団は、実に特徴のある見紛うことのない、あの「薄汚れて所々破れている座布団」それだったのです。そして、その座布団が置かれていた席は、以前、比良さんが私を案内してくれた時に座ることを断られた、一般の障害者や病人が座ることのできないペイシェントベンチのすぐ隣に設けてあったのです。

私は、「薄汚れて所々破れている座布団」とそれが置いてある席を見た瞬間に、ここで私に起こった2つの出来事を思い出したのです。その2つの出来事が、この出来事によって繋がった時、日常では経験することができない出来事として、私は記憶することになったのです。

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